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▼ 旧ブログ 記事:2009/06/01 21:25 からの転載 ▼



はぁ〜 気は焦るばかりで、【ねっと店】商品登録がはかどらず……

ええい ままよ……とばかりに、昨日は久しぶりにお出かけして参りました。

(そういえば、兵庫陶芸美術館さんの「唐津・鍋島・柿右衛門」展にも
 何週間か前に行ったのに、ブログに書くの 忘れておりました……)

昨日 行きましたのは、白鶴美術館さんの「鶴翁からの贈り物」展。

以前 「河井寛次郎記念館」が、現在の私の原点であると書きましたが、
思い返せば、幼稚園だか 小学校だかの頃、
今は亡き祖父に連れられて、白鶴美術館に行ったような記憶も 甦って参りました……

薄暗い館内のガラスケースに、日本刀がずらりと並んでいて、
刃紋に めまいがした記憶がございます。
(こちらのコレクションは、青銅器や金工が秀逸ですが、
刀なんて あったかしらむ???記憶違いでしょうか……何かの特別展だったのかな……)

あの館内の薄暗さ、独特の空気感、が博物館や美術館で働きたいと願った
第一歩だったような気がします……

重文の 狩野元信の屏風なんかも、ドンと 部屋に無造作(?)に置かれていて、
古き良き 博物館の姿を、いつ行っても味わうことが出来ます。

(陶芸美術館は チャイルドルーム等、最新の設備で助かりますが、
白鶴さんの 美術館 創成期の施設はやはり素晴らしい……
庭やバルコニーの景色に、生後9カ月の息子もご満悦です。)

今回の、博物館ハシゴのメインは「王子動物園」です。
学芸員を志す前は、動物園の飼育員になりたかったワタクシです。

息子にとっては、屏風もパンダも
???
なんのこっちゃ?という感じだったかもしれません。
リスザルが 飛び回っているのを見て、興奮していたので、
自分に近い生物だと、認識していたのでしょうか。

息子にとっては どうか判りませんが、
僕にとっては
よいお休みでございました……
▼ 旧ブログ 記事:2009/03/23 11:59 からの転載 ▼




グァテマラの お手玉 舐めし 余寒かな  (静友堂)


「みんぱく」のミュージアム・ショップで買って来た
グァテマラのお手玉です。

本当は、蹴り合って遊ぶようなので、お手玉でなく「蹴鞠」でしょうか?

十職さんでなくとも、私のような凡人でも、ハッと目をひくデザインが、
みんぱく には溢れています。

生きていることの中に美があることに、
「禅」でなくても 「民芸」でなくても
気づかされます。
生きていることの 美しさ……


をのこ子の 手の小ささよ 雲雀鳴く  (静友堂)
▼ 旧ブログ 記事:2009/01/17 21:36 からの転載 ▼


あの日から 早くも14年……

僕が神戸の人間だと知って、他の地方の方に
「被害、どうでした?」と、よく訊かれた時期があった。
あの年の翌年か、その次の年……

どう応えたらいいのか 一瞬 言葉を選ぶ僕。
「ええ。家族は無事でした。」
「それは良かった。」
素直に 無事を喜んでくれる……

『家族は無事でした』
それ以外に ふさわしい言い方が見つからなかった。
一応 家族に、命の別状は無かった。
でも 家のことや、友のことや、親戚のことや、家の周りの様子のことや。
なにより……街は消え、多くの命や あらゆる かけがえのないものが
失われた。

「ええ。家族は無事でした。」
「それは良かった。」

1月17日が来るたびに、僕は自問する。
はたして 毎日 きちんと 一歩ずつ 歩けてるだろうか

今 生きている者として、生きていることの責任を、
全うしているだろうか?

そうして、明日も僕は目をさまし カーテンを開け靴をはく。
あの日から 早くも14年……
▼ 旧ブログ 記事:2008/08/30 21:18 からの転載 ▼




<赤子かな ああ赤子かな? 赤子だな!>――静友堂

つい先程 ついに赤子が誕生しました

仕事を中座し、出産に立ち会うことができました
店を開けてるかぎり お客様にご迷惑をかけることは……覚悟しておりましたが
誕生時から 親孝行な息子であります

出産というものは なかなか壮絶な ものであります
誕生というものは 神秘的な ものであります

つわりが既に壮絶なものであったゆえ 心配しておりましたが……
自然の摂理にしたがい 無事 生まれてまいりました
「無事 是 貴人」
生まれた瞬間から すでに赤子は輝いておりました
ちょうど 我々 ひとりひとりが輝きに満ちているように

これから赤子は 壮絶な道を歩まねばなりません
そして
生きていることの 無事であることの 素晴らしさ 喜びを知るでしょう

彼にそれを伝えることが これからのワタクシの役割です

長次郎の茶碗が 今日も誰かの手を温めるように
梅ノ井の水が 明日も誰かの咽喉を潤すように
伝えることが これからのワタクシの役割です それは言葉でなくとも

中座した分 少し頑張って仕事にケリをつけ
今日は一人で祝杯をあげたいと思います
改めて 身が引き締まる思いを、噛み締めながら

『をのこ子の父となりたる 秋刀魚 苦し』――岸田稚魚

「太朗!ともかくも まずは誕生おめでとう!!!」



(「青磁醤油注 鉄釉八角小皿 添」:宮永東山(2代) :共箱)

※岸田稚魚……俳人。石田波郷 門下。大正7年東京生、昭和63年没
※宮永東山……解説 次回。
▼ 旧ブログ 記事:2008/08/25 19:03 からの転載 (写真は転載なし) ▼


朝原サンご夫婦と、ワタクシとは、商学部の同級生でありまして……
(陸上短距離の、朝原サンであります)

入学後すぐに、名前順のクラス別けがあるのですが、伝統的になぜだかアイウエオ順でなく
ABC順。つまり、彼A私Iの、当時まったく面識はなかったのであります。
(まだ日本新を出す前の彼は、入学時からすでに もっぱらのウワサでした。
「○組にスゴい奴がいる」と。わざわざ○組まで、見に行ったものでございます。)
その後の彼は、ご存知の通り 大活躍。
その後の私は、食っちゃ寝の、ぐ〜たら生活。

それから十数年の歳月。
昨年の暮れ、フタリは「再会」することになります。

私は仕事で京都に出ていて、夕方、鞍馬口駅から地下鉄に乗りました。
一つ目の今出川駅から彼は乗りこんで来て、私の隣に座ったのでございます。
「あっ、朝原や」すぐに私には判りました。
(この場合の呼び捨ては、友人と遭遇した時のそれでなく、
「あっ、SMAPや」と同じ意味合いのものでございます……)
彼が競技を続けながらも、大学院で研究をしていると
(テレビの情報で)知っていましたし、
(今出川駅の真上に、私達フタリの母校はあります)
なにより、彼の体のデカいこと!
真冬なのに、お洒落なシャツ1枚だけを羽織り、筋肉が手に取るように判ります。

とっさに声を掛けようかと迷いました。でも、何と?
<同級生なんです!><僕も商学部なんですよ><授業の帰りですか?>
<いつもTVで見てます>??  <足、早いですね>???
《いつも応援している。まだまだずっと、頑張ってほしい。》

やはり躊躇われました……
私はすぐに彼と判ったのに、周囲の乗客は気づいていない様子です。
(逆に私の方が、目立っていた気配です。大きな風呂敷2枚に別けて、釜4個を運んでたから……)
彼は、そんな怪しげな私の隣で、周りには目もくれず、携帯メールをずっと打ってました。
愛する奥様へ、でしょうか?先にメダリストとなった。少し微笑みつつ。

結局、何のコンタクトも取らなかったワタクシ……
姫路行きのJR新快速では、なぜだか彼を避け、別の車両に乗った次第です。
心の中だけで、「頑張れよ。いつも応援してるぞ!」と。
釜を両手にぶら下げ、冬なのに大汗をかきながら……。

私の世界では、私は若輩・青二才です。でもアナタの世界では、アナタは正直
「もうエエ歳」ですよね。
人見絹代 以来の快挙ですか……頭が下がります……
私は貴方という<友>のことを誇りに思い、貴方に負けぬよう、私なりのメダルを、私なりのゴールを、
目指す所存です。

(北京五輪にかこつけて、次回は天目茶碗の特集でございます。)


(「堆黒 香合」        :中国製 :紙箱)
(「古瀬戸写 天目茶碗」    :能勢善光 :桐箱)
(「青貝七宝 天目台 淡々斎好」:陽斉工房 :紙箱)
▼ 旧ブログ 記事:2008/08/02 20:52 からの転載 (写真は転載なし) ▼


私は花火のことを考えていたのです。
我々の生(ヴィ)のような花火のことを。


芥川龍之介 『舞踏会』の一節……
(高校時代のワタクシは、芥川と村上春樹にハマっていたのであります)

さて、神戸の花火大会……弊店の前からも、巨大な迫力で 見えましたよ!

花火大会で思い出すことと言えば、やはりアノ地震の年……
ちょうど 旧メリケン波止場で我々は見ていて、
前半1時間くらいは ただキレイやな キレイやね なんて……
後半に入ると、突然アナウンスが入り
「さて、ご来場のみなさま。これよりは、全国各地から ご寄贈頂いた花火をメッセージと共にご覧頂きます!」

ド〜〜ン!!
……「<被災者のみなさん 復興していく神戸を訪れるのを、楽しみにしております>――
   新潟県○○市からの ご寄贈です」
ド〜〜ン!!
……「<ガンバロウ 神戸!まけるな 神戸!>――長野県○○町からの ご寄贈です」

次々に読み上げられるメッセージと、花火。

気づいたら、知らずに涙があふれていて 
周りを見渡せば、周りの人たちも<全員> 花火があがる度ごとに
オーッと歓声をあげつつ、
そこにいる《全ての人》が 涙を流していました。笑顔で。

多くの人の心が 一つになっている時間を、私は他に知りません。
一生忘れない花火大会です。

……
今年も大きな地震が、東北の方でありました。
店の前で 仕事の手を休め 眺めつつ、
フト 芥川の『舞踏会』の一節が、頭に甦った次第です。
『無事 是 貴人』 自分が今 生かされていることの、有り難たさ……
▼ 旧ブログ 記事:2008/08/21 18:49 からの転載 (写真は転載なし) ▼


●中村宗哲(12代:弘子)さん の話……

ぐ〜たら大学生だった頃に、稽古で通っていた茶室が、
桃山期の古い茶室で、
(後世に、さる華族の令嬢が「嫁入道具」として「持参」したという……)
その茶室「保存会」というのに、弘子宗哲さんも所属しておられました。

年に数回、その保存会の茶事というのが催される訳ですが、
下っ端ぺ〜ぺ〜だった私も、お手伝いに行かせて頂きます。
(茶事や茶会の「お手伝い」が楽しくて、お稽古が長続きしていたような有様で……)

暇なぐ〜たら学生で、下っ端ぺ〜ぺ〜なものですから、
けっこう朝早くから出て、露地や庭を清めたり、井戸の水を釣瓶で汲んだり……
茶事の直前からは「受付」です。
(やはり内仕事は、キレイに着飾った姉様方が担当される訳で)
保存会員の皆様の、お荷物を預かったり、庵主への ことづけものを頂いたり、
年会費のお支払いが何々とか、さて露地笠が足りないですよとか。
「和敬清寂」とはほど遠く ばたばた慌しく過ごすうちに、
先輩がフト
「さっきの方が『宗哲でございます』の宗哲さんやで」と。

手を止めた時には、もう端整な後ろ帯姿しかなく……
恥ずかしながら、その時初めて「え?女性の方やったんや」と知った次第。

その後、受付でお会いする度に、『宗哲でございます』の宗哲さんは、
こんな下っ端ぺ〜ぺ〜にも、優しく 気安く声を掛けてくださり、
ふんわりと柔らかな物腰で、それでいて
きっちりとした『型』のようなものを漂わせ、
……何か上品な主菓子のような お人柄でした。

残念ながら、今となっては「先代 宗哲」とお呼びせざるを得ませんが、
お稽古やお茶会で『宗哲でございます』の一語を聞くたびに、
その優しかった笑顔を思い出します……合掌


※写真は、現代作家さんの「家元好 写し」であり、宗哲さんの作品ではございません。
(左:淡々斎「苫屋棗」 右:鵬雲斎「五葉棗」)
※不審庵さま・今日庵さま「歴代宗匠好 写」の茶器は、次回掲載いたします。
▼ 旧ブログ 記事:2008/07/17 17:34 からの転載 (写真は転載なし) ▼


●荒木村重(道薫・道糞)の話……

弊店のすぐそばに「花隈城」という、お城の石垣があるのですが、
(内部は市営駐車場になっているので、ご存知の方も多いでしょうが)
ここに時々、「荒木村重」さんが、いらっしゃいます。

※荒木村重※
戦国時代〜桃山期の武将・大名。利休七哲のひとり。明智光秀より4年前に織田信長に反逆した武将として有名。花隈城ほか、何度か落城の憂き目にあい、妻子を見捨てて逃亡したことを恥じ「道糞」と自称したが、秀吉に許されて「道薫」と改名させられた。信長による処刑から、唯一逃げ延びた子が、浮世絵の祖とされる岩佐又兵衛である。

現代の「荒木村重」さんは、
(私の高校時代・20年くらい前から、この花隈城で見かけるのですが)
お城で暮らす「ホームレス」さんであります。
失礼な言い方じゃなければいいのですが……、まさに激戦の直後といった風情で、
たいていは疲れきって寝ておられますが、
時に石垣にもたれて、座禅(???)しておられる時もあります。
(時に出陣か、駐車場職員に追い出されるのか、城を空ける時もあります。)

彼の姿は、JRの電車からも、よく見下ろせます。
(ご存知の方も、多いのでは?)
それが、20年前から、城を守り続けているのです!!!
(20年前の村重さんと、今の方とが同一人物ではなく、
何代か代替わりしている可能性はありますが……。服装や髪型は、まったく同じです!)

ここで、彼のことを冷やかしているつもりは、ありません……
今後も私は。「暑いのに大変ですね、村重さん」と心の中で呼びかけながら、
それ以上何もできずに、店へと急ぐのでしょう……

明堂和尚の「蓮上蛙画賛」の写真を撮りながら、
フト村重さんの座禅(?)姿を思い出した次第です。(写真説明は次回)
▼ 旧ブログ 記事:2008/07/14 18:15 からの転載 (写真は転載なし) ▼


「神戸」と「京都」とは互いに魅かれあうものらしく、
かくいう私も、中学生の頃から京都に憧れつづけ、
実際10年少しをそこで暮らしました。

いわゆる「山鉾町」の西南端の、
「太子山」というところのマンションに、住んでいた時代があります。
ぐ〜たら大学生だったので、昼過ぎまで寝ている訳ですが……
この時期になると、おちおち眠ってもいられません。
トンテンカン・トンテンカン。表が騒々しいのです。
「山」を組み立てる木槌の音や、指示する長老の声、笑い声で。

メインの山鉾よりも、「屏風祭」というのが、毎年 楽しみでした。
さすがに山鉾町ともなると、各家々に屏風だの花器だの、
それも歴史的に名のある名工たちの作品が、惜し気もなく飾られていて。
誰でも気易く、土間からそれを見せて頂けるのです。

「太子山」の名物は、由緒ある秦さん家の、聖徳太子像でした。
(秦さん家は、たしか平安京以前の、ご出自だったような……)

秦さん家の前に、床几に緋モウセンが出してあって、
ビールを飲みながら、ご近所さんが集うのです。
同じマンションの女の子が、稚児さんになって、
「蝋燭売り」の声を一生懸命あげてたりして。……懐かしいなぁ……

祇園祭も、いよいよこれからクライマックスですね。
(神戸の海上花火大会 8/2(土)も、もちろん楽しみです!)

(「茶碗 祇園祭 鉾絵」 作:山岡善昇 箱:桐箱)
(「平棗 祇園護符 蒔絵」 作:浜田慎一郎 箱:桐箱)
▼ 旧ブログ 記事:2008/07/10 17:43 からの転載 (写真は転載なし) ▼


みなさま 初めまして

神戸の元町にて、「茶道具」「骨董」等のお店をしております
「石橋静友堂」店主:石橋啓一郎と申します。

(よく説明も読まぬまま、開設しはじめてしまいましたが、
これで書けているのでしょうか? いまいち 先行き不安なスタートであります。)

これから、私の身近で起こった よしなし事を、
つれづれなるままに、そこはかとなく……
つらつら書いていければ、と存じます。

どうぞ 末永い お付き合いの程を